ちょとハライタである。
早寝しますです。
センちゃんがいない日々には、慣れないね。
まだ、「入院してるだけ」な気がしたりもする。
どこかで受け入れてもいるのだが。
台風が来てて、台風が来ると元気がなくなったりしてたので
その心配はもう要らないんだが
「心配が要らない」ことが非常に空虚に感じるのである。
心配したいんだなぁと。
そういや、センちゃんが「心配だねぇ?」と言ってたことがある。
センちゃんが言うってことは、私がいつも言ってたってことだ。
それだけ心配ばっかりしてたんだね。
さ、寝よう。
今度は私がセンちゃんに心配してもらう番になってしまったよ。
今日、近所のコジマにヨーちゃん用のビタミン剤を買いに行ったら
紫のオパーリンパイドのセキセイの中雛がいた。(2ヶ月半ぐらいか)
心が動いた。
センちゃんの色、アイちゃんの種類。
だけど、きっと彼は(オスでした)センちゃんでもアイちゃんでもないので
思い込みで買ってしまうと、よろしくないだろう、と思った。
冷静になれ、俺。
心が動くの判ります。
私も小鳥がとっても好きで小中学生の頃セキセイ、白オカメ、こざくら、ボタン
と飼っていたのですが、otamaさんのように良い飼い主ではなかったので
大人の思考を持った今は飼わないようにしています。
でも、見るとすごく心が揺れます。
未だにめったに見ない夢にたまーに飼ってた小鳥たちが出てくる事があったり。
otamaさんのお家に来れた小鳥達は本当に幸せですよ。
どのタイミングでどう声をかけたもんだか、逡巡しててコメントが遅れてごめんな。
「夫」って感じるの、全然キチガイじゃないと思うよ。
「パートナー」ってことじゃん。当然じゃん。
オレは今てめーを持て余している状態で、
これで動物やら同居人やらがいたら大変だったかも、と思う一方、
いたら気が紛れたかな、と思わなくもない。
闘病していた子が逝ってしまうのはとてもつらいことだとお察しします。
でも、もうその子は苦しまなくて良いんだもん。
残された者が悲しむのは、逝ってしまった側にもつらいんだろうなと。
ヨーちゃんと一緒に、センちゃんの思い出を語りあってくだされ。
日曜日にまたカリヨン弾かせてもらえそうなので、
賛美歌320番「主よ、みもとに近付かん」(フランダースの犬の最終回で流れた曲)を、
今度はセンちゃんのために心を込めて弾いてきます。
otamaちゃんにも届け、と祈りながら弾きます。
オレに出来るのはこんな程度のことしかないんだけど、
まあ、カリヨン弾き(見習い)の友人を持つ数少ない特権ってことでどうかひとつ。
>tamakiちゃん
インコ一通り飼われたのですねぇ。
すごいな。
私はセキセイ一筋だ。(笑)
昨日もウッカリ西武のペット売り場に行って心が揺れた。
ゆれやすい時期なのでしょう。
>ぼのちゃん
動物飼うのは大変だけど、その分、自分よりソイツが心配になるので
自分のことはとりあえず置いといて、ってな感じで
気が紛れる部分もあるかもね。
明日のカリヨン演奏は、きっとセンちゃんも喜ぶことでしょう。
ありがとう。